2007年08月 第228冊
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鈴木淳史 『わたしの嫌いなクラシック』 洋泉社新書
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ものごとを「好きだ」と賛美するのは簡単。
しかし「嫌いだ」と言うと、様々な波紋を呼び、厄介になる事が多い。
私もクラシック・コンサート突撃録みたいなメルマガをやってるのでよく解るが、
悪口に受け取られる(ズバリ悪評もある)文章を発表する時は、
こう見えても気を使う。
どうせならもう少し穏当な表現がないかナ。
贔屓目に見て表現を換えれないかナ。
こんな文章を発表したら抗議が来ないかナ...などなど。
なるほど、鈴木氏の論調は上手くやっている。
上段で斬り下げ、中段でも痛めつける。
しかし下段でフォローや、おや?と思うような意外な側面やエピソードも紹介する。
悪口で始まるが、ただそれだけではない。
その楽曲や、作曲家、演奏家の嫌いな点が分かった上に、
意外にそうでもない事まで分かる。
実に得をしたような読後感も得られる。
結局この人は、アーノンクールとかチェリビダッケが好きなタイプなのだが、
スター指揮者はかなり扱き下ろされている。
こういった手合いは、決まってカラヤンや小澤がやっつけられるが、本書もまた然り。
ただ、私も同感なんだけど、こうやってハッキリ書かれると、
少し可哀想な気もする。
カラヤンなら、彼の美音で塗り固めた秀麗な響きを嘲笑うのもいいけど、
カラヤンと云えば何と言ってもオペラであって、彼のオペラに言及してないのは片手落ち。
小澤は確かにイイ所を思いつくのは難しいが、なんとか美談を探せなかったのか?
家族愛とか、学閥愛だとか(フォローになってないか...)。
我が愛するケーゲルを、ありきたりな「緊張音楽」と斬り捨てたのは残念だった。
ケーゲルの音楽は、緊張しっぱなしかなぁ?
彼のジャンニ・スキッキ(抜粋版)の異様なほどの興奮を聴いた事があるのかな?
そんなことないけどなぁ、と思いつつ本書を読むのもまた楽し。
クラシックをかなり聴いている人しか、本書は十全に楽しめないでしょう。
でも、それでイイんじゃない。
これからはこういったマニア向け本が、どんどん出てくる世の中になる。
何にでも中途半端で一時的な興味でもって、広く浅く物事を味わっている人は、
読む本が無くなってしまうでしょう。