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2010年12月 第422冊
乙川優三郎  「生きる」  文春文庫

乙川優三郎  「生きる」  文春文庫

直木賞受賞作「生きる」(96ページ)の他、
中篇2編「安穏河原」「早梅記」を収めた中篇集。

乙川氏の作品は数冊読んでいて、現在活躍している時代小説家の中では
大好きになった作家であり、本書は直木賞受賞作も含んだ作品集とあって
大いに期待して読んだのだが、これがいけなかったのか。

そもそも「生きる」というベタな題名が、自分には違和感があった
というか、予感がしたというか。

父の代で、浪人から召し上げられて扶持を貰い、
自分の代で殿様の覚え目出度く、石高はうなぎ上り。
自分の才覚で収入を増やしたわけではあるけれど、
封建時代は殿様の意向あって初めて、
昇格昇進給料倍増となるわけだ。

それだけに、江戸時代初期は「追い腹」というのが頻繁で、
ご厚情特に篤かった者は、殉死することが多かった。

「生きる」の主人公は、この殉死をめぐって翻弄される話。

ただし、人物の精神が低い。
あくまで一般的な人間性を据えたかった、
ごく普通の人間を主人公にして、「生きる」ことの深淵を
描きたかったんだろうが、江戸初期の武士が
ここまで軸がないかなぁ。

結局人間とはこういうものなんだからと、
著者は書きたかったんだろうけど、
昔の時代小説家はもっと峻烈な心理描写を書いたはず。
こうまで腑抜けた心だったのかなぁ・・・と思ってしまう。

「安穏河原」は女郎に身売りした悲劇。
武士として理想を貫き通したばかりに浪人となり、
世間知らずもはなはだしい挙句に食うに食わずの貧乏生活。
妻が長患いとなって薬代がどうのもならなくなったので、
一人娘を女郎に身売りさせてしまう。

ここから話のスタートなんだが、浪人となった理想論を
唱えてきた父の行動にイライラ。結局、娘とはいえ
我が身の方がかわいいんじゃないかと憤ってしまう。

「早梅記」もなんだかなぁ、という話。
武士として大出世を遂げた隠居爺さんが、今日も息子夫婦に
気兼ねしながら散歩に出かけるところから話は始まる。

しかし、その爺さん、若い頃は当時の武士としては当たり前だったのだろうが、
一人の若い娘の人生を台無しにしてしまっている。

しかも、責任を取るつもりだったのに何やかやで
取れなかったと言い訳している始末。

所詮、自分より階級の低い者への考え方はそんなとこだったのです、と
著者はさらりと書いているが、現代人から見れば、
もうここで許せない話となってしまう。

結局そんな気持ちで読み続けるもんだから、
主人公(爺さん)の心情にはまったく寄り添えず、
勝手なことばかり言うな!という気持ちで話は終わった。

結局3編とも、イライラムカムカばかりしていた。
時代小説は、読書の合間の清涼水みたいに読んでいるのに、
本書はまったく駄目だった。






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