2011年6月 第452冊
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歌野晶午 「葉桜の季節に君を想うということ」 文春文庫
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大抵の古本屋に置かれており、当時売れたもよう。
アマゾンのレビューも222件(2011年6月調べ)と盛況だ。
ただし評価は1から5まで幅広く、
「圧倒的支持」とか「誰もが認める」という評価は得ていない。
均等に評価が分散した結果に、うむうむ、と私も大いに納得した。
まず、この作品を語る時は、「ネタばれ」という文言を
見つけたら絶対見ないこと。
そこそこ思わせるようなネタバレさへ、この本に関しては要注意だ。
ラストの大仕掛けをどう思うかで、この作品の評価も全く異なり、
それこそ作者の思う壺なのだが、それでも不服とする人も現に多い。
私は天邪鬼なので、敢えてこういう作品は大きく受け留めたいのだが、
やっぱり大仕掛けには不満だった。
しぶーく決める現実派ミステリが好きな私は、
トリックや推理を技法として競い合っている作品はかなりイヤ。
「○○殺人事件」といった作品は題名だけで選んでいない。
意外と読めば面白く書いてある作品もあろうが、
ありえない事件が起こって、刑事や探偵が調査して、
予想外の第二の事件が圧し掛かって・・・と
いうパターンが嫌いなのだ。
さてさて、本書は恋愛小説にあらず。
マルチ商法をやっつける冒険小説のような滑り出しで始まる。
スポーツジムで後輩と組んで動き出したり、探偵を少し齧った
主人公が爽やかだったり、仲間内で憧れの女性が出てきたりと
爽やか青春群像劇といった流れが、マルチ商法追求で事件の
核心に進み出す。
五百ページ近くあるし、さくさく読める流れなんだが、
一気に読んだというほどでもなかった。
大仕掛けに怒って評価バツってのもなんだし、
これは読んどくべしとも思わない。
ただ、粋な題名に惹かれて買っただけ。
もう歌野晶午の本は買わないだろう、と想うということ。