2011年6月 第450冊
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海音寺潮五郎 「史談と史論」上下 講談社文庫
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いやぁ、読み応えたっぷりの上下八百ページ余。
潮五郎さんの歴史根拠を前面に押し立てた、
見事な歴史談義と歴史論議。
こういう史談史論を微笑ましく読ませる現役作家が、
いま活躍してるんだろうか?
父が読んでいた「武将列伝」を小学生の頃背伸び読みして以来、
今も年一冊のペースで潮五郎を読んでいる。
あんなに燃えた司馬遼太郎は今読まないのに、潮五郎は今も読む。
この違いは、彼が歴史小説家とあるだけでなく、
史伝作家でもあるからかもしれない。
それだけに原典原書にこだわり、少々こうるさい作風ではあるが、
そこが歴史と遊んでいる風味を味あわせてくれる。
彼は池波正太郎を評価しなかったという逸話も、なるほどそうだろう
と思う。潮五郎も正太郎も私は大好きだが、両者の立ち位置は全く違う。
薩摩大口の人なため、とにかく薩摩自慢が多い。いや、多過ぎる。
鹿児島県出身なら大いに楽しめるところだが、熊本や宮崎のことは
ちっとも触れないのに、とにかく薩摩は強いらしい。
まぁ、ここだけは目をつむってあげると、この著者も読みやすくなる。
面白い話では、「正宗」と「村正」だろう。
名刀と妖刀の経緯や故事がふんだんに語られており、
幕末まで刀は切っても斬れない重要道具だった事もわかる。
本書上下二巻は、過去数々の史談短編集から読み応えあるものを
再編集したもの。
幕末、特に薩摩藩と西郷さんに的を絞って滔々と語りつくした後、
少しづつ時代を遡って室町鎌倉平安へと至る。
世間で言われ続けていることが、意外と逆なんですよ
って話が埋もれてあり、最新の歴史疑義書を読んでいるような錯覚も覚える。
潮五郎は三十年以上前に亡くなったのに。
彼がどれほど西郷を愛していたか随所に解かり、
それだけに彼の「西郷隆盛」が絶筆で終わったのが可哀想でならない。