2005年09月 第111冊
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中嶋繁雄 『閨閥の日本史』 文春新書
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歴史に関わる婚姻・姻戚関係は極めて重要だ。
特に日本では血筋が、現代の我々が思う以上に貴ばれ、たいして実力も無い人物が
棟梁に祭り上げられたり、遠い縁戚だと云うだけで取り立てられたりと、
可笑しな現象が堂々と罷り通っている。
いろいろな歴史・時代小説を読むにつけ、作者がどんな歴史観を抱いているのか、
その違いを大きく感じるのだが、我が愛する南條範夫などはこの「閨閥」が
歴史に大きく絡んでいることをあちこちの作品で効果的に使っている稀有な小説家だろう。
この辺が、司馬文学などの歴史人物のパワーを中心にすえて生き生きと
描いている作品などと大きく異なる。
歴史には、どおしよも無い大きな歯車があって、その流れの中で一つ一つの
小さな軋轢が噛み砕かれながら進んでゆく。
そんな抵抗の種類を人物が持つ力と考えるのか、運命と考えるのかで
作品の持つ哲学は大きく異なってゆく。
南條文学はそこにどうしようもない運命、すなわち「血」を重要視しているのです。
さて、ようやく本書に話を移しましょう。
この本は私が期待していた内容ではなかった。
私としては、血と血の絡み合いによって、歴史がどのように抗し切れずに
動いて行ったのかと云ったエピソードを期待していたのだが、
そんな話は少ない。
明治期以降の華族がどのようにして成立し、その華族がどのような閨閥で
繁栄して行ったかを中心に据えている。
たとえば、三菱の創設者の「岩崎家」と「後藤象二郎家」の閨閥とかね。
そう、この著者は明治華族に強く、その手の著作が多い人なんです。
私も以前、「日本の名門100」とか、その続編を楽しく読ませて頂きました。
それに歴史愛好家では有名な「歴史読本」編集長でもあった人物。