2011年1月 第428冊
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宮下誠 「カラヤンがクラシックを殺した」 光文社新書
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題名に、著者の思いが籠められている、それが全て。
クラシック音楽界とレコードCDを詰まらなくさせてしまった最大要因は
カラヤンであり、彼をギュウギュウに締め上げる事に徹している。
一方、大好きなクレンペラーとケーゲルの音楽に各一章を割き、
対比させる事で均整を取ろうとしているが、既に結論は決まっているので
鼻白んでしまう。
ちなみに、私もケーゲル旋風を浴びた世代で、許光俊の名文でケーゲルに
出会ったクラヲタは多いだろう。
だからこそ、彼が言いたい事、現代クラシック界を嘆く心意気は判るが、
こうまでカラヤン独りを貶めると戴けない。
カラヤンだけでなく、小澤征爾、レヴァイン、プレヴィン、ビシュコフ、
シャイーといった高収入を得ているが面白みに欠ける有名指揮者は
ゴマンといる。
カラヤンと似たような路線を歩き、華やかな音響とハーモニーを重視した
才能の無い後継者たちを手付かずでは、腰が引けていると感じてしまう。
カラヤン批判は免罪符がばら撒かれた現代、その後継者も批判する勇気が
欲しい。
私はクレンペラーを聴かないので語れないが、ケーゲルなら多くを聴いている。
だからこそと言おうか、彼のケーゲル感想とはあまり一致点がなく、
ケーゲル大好き同士なはずなのに、こうも受け留め方が違うのが違和感だらけ。
それゆえ彼のカラヤン批評はあまり共感できず、
「カラヤンがクラシックを殺した」というお題目には否を唱えないけれど、
各論には不満と苦笑の連続だった。
大仰な形容詞やドイツ現代美術を基礎とした比喩が多く、
煙に巻く酔い痴れた文体も気に喰わない。
ただ寝覚めが悪いのは、著者は2009年50歳にも満たずに急死している事。
死んだばかりの人に対して、率直な感想を述べるのは酷いのだろうが、
820円も出して本書を購入したのだから、本音を少しだけ書きたかった。